チベット仏教は、独自の儀式や道具で知られるユニークな仏教文化です。
しかしその起源はチベット内部ではなく、インドから伝わった大乗仏教と密教にあります。
この記事では、7世紀から8世紀にかけて仏教がチベットに伝わった歴史と、そこからどのように発展していったのかを解説します。
ソンツェン・ガンポ王と最初の仏教伝来
7世紀、チベットを統一したソンツェン・ガンポ王(在位:618〜649)は、仏教をチベットに導入した最初の王とされています。
- 仏教を取り入れた理由
政治的な同盟のためにネパールや唐(中国)から仏教徒の王妃を迎え、その影響で仏教がチベットに広まりました。 - 寺院の建立
王はラサに「ジョカン寺」や「ラモチェ寺」を建立し、仏像を安置しました。これがチベット仏教の基盤となります。 - 仏典の翻訳
インドから学僧を招き、仏典の翻訳事業が始まりました。チベット語に経典を翻訳することは、その後の発展に大きな影響を与えます。
この時代に仏教はまだ上層部の信仰にとどまっていましたが、確実に根を下ろし始めました。
蓮華生大師(パドマサンバヴァ)の登場
8世紀後半、チベットに仏教を深く根付かせたのが蓮華生大師(パドマサンバヴァ)です。
- 密教の導入
インドから呼ばれた高僧で、チベットに密教的な修法を伝えました。
マントラ、マンダラ、護符など、祈りを「形」にする実践はここから広まったとされます。 - 悪霊退散の伝説
チベットの土地には強力な精霊や鬼神が棲むと信じられていました。蓮華生大師はそれらを仏教の守護神に変え、信仰を根付かせました。 - サムイェー寺の建立
初の本格的な僧院「サムイェー寺」が建てられ、僧侶の教育や修行が制度化されました。
蓮華生大師の活動によって、仏教は王族の宗教から民衆の生活に広がり始めます。
翻訳事業とチベット大蔵経
仏教が根付く過程で大きな役割を果たしたのが、経典の翻訳事業です。
- インドやネパールから学僧を招き、サンスクリット語の経典をチベット語に翻訳。
- 数世紀にわたる翻訳の成果が「チベット大蔵経(カンギュル・テンギュル)」としてまとめられました。
この翻訳文化があったからこそ、仏教はチベット語を通じて広く民衆に浸透し、今日まで伝えられています。
ボン教との出会いと融合
仏教伝来以前、チベットには「ボン教」という土着信仰がありました。
当初は仏教と対立しましたが、やがて両者は融合していきます。
- ボン教の自然崇拝や儀式 → 仏教儀礼に取り入れられる
- 鬼神信仰 → 仏教の守護神へと変換される
この融合によって「祈りを形にする文化」が強調され、チベット仏教は独自の姿を形成しました。
初期チベット仏教の特徴
インド仏教を受け入れつつ、チベット独自の要素を取り入れた結果、初期チベット仏教は次のような特徴を持ちました。
- 密教的な儀式と修法の普及
- 僧院制度の確立と教育の開始
- ボン教との融合による豊かな象徴文化(マニ車、タルチョなど)
これらは、後のニンマ派をはじめとする宗派の基盤となりました。
よくある質問(FAQ)
Q. チベットに仏教が伝わったのはいつですか?
7世紀、ソンツェン・ガンポ王の時代が最初の伝来とされています。
Q. 蓮華生大師はなぜ重要なのですか?
彼は密教をチベットに根付かせ、悪霊退散や守護神化の伝説を通じて人々に仏教を受け入れさせました。
Q. チベット仏教は最初から独自だったのですか?
いいえ。最初はインドの仏教を受け入れましたが、ボン教との融合を経て独自の形に発展しました。
TIBET INORIとチベット仏教の始まり
TIBET INORIは、祈りを形にするチベット仏教の知恵を大切にしています。
- 蓮華生大師が広めたマントラとマニ車
- 僧院文化から生まれた祈りの実践
- ボン教との融合による祈りの多様性
チベット仏教の始まりは、祈りが人々の暮らしに深く根付く過程そのものでした。
その精神を、現代に生きる私たちの日常にも届けていきます。