TIBET INORI

チベットの歴史とは ― 王国の時代から現代まで、仏教と歩んだ千年の物語

目次

1. まず押さえたい「チベット」とは何か

チベットは、ヒマラヤ山脈の北側に広がる高原地帯で、古くから独自の文化と信仰を育んできた地域です。
現在の行政上は中国のチベット自治区を中心としますが、歴史的にはウー・ツァン(中部)/カム(東部)/アムド(北東部)という広い範囲を含みます。
「国」としてのチベットは時代により形を変えており、地域文化圏としてのチベット政治体としてのチベットを分けて理解することが大切です。


2. 古代王権と仏教の初伝(7〜9世紀)

7世紀、ヤルルン(吐蕃)王朝が高原を統一し、チベットの歴史が本格的に始まりました。
ソンツェン・ガンポは政治制度やチベット文字を整え、中国やネパールから妃を迎え、仏教文化を受け入れました。

8世紀、トリソン・デツェン王の時代には、インドから高僧シャーンタラクシタパドマサンバヴァ(蓮華生大師)が招かれ、チベット初の寺院サムイェー寺が建立されました。
これがチベット仏教の始まり(初伝期)とされます。

しかし9世紀のランダルマ王の時代に仏教弾圧が起こり、王国は分裂。信仰は一時衰退しました。


3. 後伝期と宗派の興隆(10〜13世紀)

王権崩壊後、地方ごとに僧院が再興され、再び仏教が復興します。
11世紀にはインドの学僧アティーシャがチベットに渡来し、カダム派を創設。
また、ニンマ派(古訳派)が整理され、カギュ派(マルパ→ミラレパ→ガンポパ)サキャ派など新しい宗派が次々と誕生しました。

この時期はチベット仏教の黄金期と呼ばれ、思想・瞑想体系・寺院文化が大きく発展しました。


4. モンゴル帝国とサキャ政権(13〜14世紀)

13世紀、モンゴル帝国が中央アジアを支配下に置くと、チベットにも影響が及びました。
サキャ派の高僧サキャ・パンディタとその甥チョギャル・パクパがモンゴルに招かれ、皇帝クビライに仕えます。
これにより、モンゴル(のちの元朝)はサキャ派を通じてチベットを統治する体制を築きました。

この時代には、僧侶が政治権力を担う政教一致体制の原型が生まれます。


5. 地方政権の時代と宗派間競合(15〜16世紀)

元朝の崩壊後、チベットは再び分裂し、地方ごとに異なる勢力が支配する時代になります。
この時期には、パクモドゥパ政権リンプンパ政権が現れ、宗派間の対立や政治的競合が激化しました。

一方で、印刷技術や仏画(タンカ)文化が発展し、学問・芸術の面では豊かな時代でもありました。


6. ゲルク派の統一とダライ・ラマ政権(17世紀)

15世紀、改革僧ツォンカパが戒律と学問を重んじるゲルク派を創設。
やがてこの新宗派は広く支持を集め、17世紀に入ると転機を迎えます。

5世ダライ・ラマ(1617–1682)はモンゴルの援助を受けてチベット全土を統一し、ラサにガンデン・ポタン政権を樹立。
このとき建設されたポタラ宮は、精神と政治の象徴となりました。

以後、チベットではダライ・ラマが宗教的・政治的指導者を兼ねる体制が続きます。


7. 清朝との関係と外国勢力の影響(18〜19世紀)

18世紀初頭、モンゴル勢力の侵入を受けたチベットは、清朝の介入を受けてラサに清の駐在官(アンバン)が置かれました。
この頃、チベットは名目上清の宗主権下にありながら、内部統治の多くを維持していました。

19世紀後半には西欧列強の関心も高まり、1903〜1904年のイギリスのヤングハズバンド遠征により、ラサが一時占領されます。
その後のラサ条約(1904)は、チベットが国際政治に巻き込まれる転換点となりました。


8. 近代化と13世・14世ダライ・ラマ(20世紀前半)

13世ダライ・ラマ(1876–1933)は清朝の滅亡を機に自立を強め、1913年頃には事実上の独立を宣言したとされます。
仏教教育の近代化や軍・通信の整備を試みましたが、外部の圧力は続きました。

1935年に14世ダライ・ラマが誕生し、1940年に正式即位。
この頃のチベットは、独自の行政を維持しながらも、周辺国との緊張が高まっていきました。


9. 1950年代の激動:17か条協定と亡命

1950年、中国人民解放軍が東部チベットへ進入。
翌1951年、「チベットの平和解放に関する17か条協定」が締結されました。
しかし自治をめぐる対立が深まり、1959年3月、ラサで大規模な蜂起が発生します。

この混乱の中で14世ダライ・ラマはインドへ亡命し、北インドのダラムサラ亡命政府(中央チベット政権)を樹立しました。


10. 文化大革命以後〜現代

1965年、中国は正式にチベット自治区(TAR)を設置。
しかし1960〜70年代の文化大革命期には、多くの寺院や文化財が破壊されました。

1980年代以降、宗教活動は一定の範囲で再開され、観光・経済開発も進展します。
一方で、言語・文化・信仰の保護自治権の問題が現在も議論の的となっています。

亡命チベット社会では、ダライ・ラマ14世を中心に非暴力と対話を訴え、世界的な精神的指導者として広く支持を得ています。


11. チベットの歴史をめぐるよくある疑問

Q1. チベットは国なのですか?
古代には独立した吐蕃王国が存在し、中世には独自政権もありました。
しかし20世紀以降は政治的地位をめぐって意見が分かれ、現在は中国の一部(チベット自治区)として行政されています。
ただし、亡命政府が文化・宗教的な継承を担い続けています。

Q2. ダライ・ラマは国の指導者ですか?
伝統的に宗教と政治を統合した指導者でしたが、亡命後の2011年に政治権限を民選指導者へ移譲。現在は精神的リーダーとしての役割を担っています。

Q3. チベット仏教と政治は常に一体でしたか?
時代により異なります。
宗教が社会の中心だったため政治との結びつきは深いですが、僧院の自立や宗派間の多様性も存在していました。


12. 年表で見るチベットの歩み

年代主な出来事
7世紀吐蕃王国の成立、ソンツェン・ガンポによる統一
8世紀サムイェー寺の建立、蓮華生大師が仏教を定着
9世紀ランダルマ王の仏教弾圧、王国崩壊
11世紀アティーシャ来蔵、カダム派の成立
13世紀モンゴル帝国の支配、サキャ政権誕生
17世紀5世ダライ・ラマがチベットを統一、ポタラ宮建立
1904年イギリスのヤングハズバンド遠征
1913年13世ダライ・ラマによる独立宣言とされる
1950–51年中国軍進入、17か条協定
1959年チベット蜂起、14世ダライ・ラマ亡命
1965年チベット自治区設立
2008年チベット各地で抗議が報告される

13. まとめ ― 祈りとともに歩んだチベットの千年史

チベットの歴史は、政治的には波乱に満ちていますが、その中心にあるのは常に「信仰」と「学び」でした。
仏教を柱に、厳しい自然とともに築かれた精神文化は、今なお世界中の人々に影響を与えています。

祈り・慈悲・非暴力というチベット仏教の精神は、時代を超えて生き続けるチベットの「魂」といえるでしょう。

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