大乗仏教、とくにチベット仏教では、
「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は菩薩が歩むべき実践の柱として非常に重視されます。
六波羅蜜とは、
悟り(仏果)を目指しながら、すべての衆生を利益するために、
菩薩が日々の中で育てていく六つの徳目・行い
を指します。
一般的な六波羅蜜は次の六つです。
- 布施波羅蜜(ふせ・檀那/ダーナ)
- 持戒波羅蜜(じかい・シーラ)
- 忍辱波羅蜜(にんにく・クシャーンティ)
- 精進波羅蜜(しょうじん・ヴィリヤ)
- 禅定波羅蜜(ぜんじょう・ディヤーナ)
- 智慧波羅蜜(ちえ・プラジュニャー)
この記事では、
- 六波羅蜜の基本的な意味
- チベット仏教における解釈・実践のニュアンス
- 日常生活での実践イメージ
を、やさしい日本語で、かつ内容はしっかり・SEOも意識して整理していきます。
波羅蜜(パーラミター)とは? ― 「彼岸に到る徳」
「波羅蜜(パーラミター)」という言葉は、
サンスクリット語 pāramitā の音写で、
- 「彼岸(悟りの岸)に到ること」
- 「完全な徳」「円満な完成」
といった意味を持ちます。
つまり六波羅蜜とは、
悟りの岸へ渡るための六つの完成された徳目
であり、菩薩道の実践ガイドラインといってよいでしょう。
チベット語では**「パル・チェン・ドゥク(phar phyin drug)」**と呼ばれ、
「六つの到彼岸」といった意味合いで語られます。
1. 布施波羅蜜 ― 分かち合い・与えること(ダーナ)
意味
**布施波羅蜜(ふせ・だんな)**は、
惜しみなく与えることを通して、
貪りの心を手放していく実践です。
ここでの「与える」は、お金や物だけでなく、
- 物質的な布施:食べ物・衣服・住まい・お金など
- 法の布施:教え・知恵・気づき・励ましの言葉
- 無畏の布施:恐れを取り除く助け、安全・安心感を与えること
といった、三種類の布施として説明されます。
チベット仏教的なポイント
チベット仏教では、
布施は「いい人になるため」だけの行いではなく、
- 「与える主体」「与えられる対象」「与えられるもの」
この三つが本質的には空である、と観想しながら行う
という空性の理解とセットになった実践として語られます。
「与えたい」という温かい気持ち
+「執着を手放す智慧」
この両方が揃うことで、
布施が波羅蜜=悟りへ至る布施になるとされます。
2. 持戒波羅蜜 ― 自分を守るルール(シーラ)
意味
**持戒波羅蜜(じかい)**は、
心と行いを整えるためのルールを守ることです。
- 殺生しない
- 嘘をつかない
- 奪わない
- 不適切な性行為を慎む
- 心を乱す酒や薬物を慎む
といった、基本的な倫理規範(五戒など)は、
在家・出家を問わず、心を曇らせないための土台になります。
チベット仏教的なポイント
チベット仏教では、持戒は
- 比丘(僧)や沙弥などの出家戒
- 在家の人の在家戒
- 菩薩戒
- 密教の三昧耶戒
など、いくつかのレベルで語られますが、
共通しているのは、
「戒は縛るためのものではなく、
心の自由を守るための枠組み」
という理解です。
「やってはいけない」ではなく、
**「やらないことで、もっと深く幸せを感じられる」**という感覚が育つと、
持戒は自然なものになっていきます。
3. 忍辱波羅蜜 ― 嵐の中でも折れない心(クシャーンティ)
意味
**忍辱波羅蜜(にんにく)**は、
耐える力・受け止める力・柔らかい強さの修行です。
ここには主に三つの側面があります。
- 外からの苦しみ・攻撃を耐え忍ぶ
- 修行の過程で起こる困難を耐え忍ぶ(怠けたい気持ち、停滞など)
- 真理(空・無我)を受け入れる忍耐(自我が壊れるような感覚をも耐える)
チベット仏教的なポイント
チベットの教えでは、
忍辱は**「相手にやられっぱなしになること」ではない**と強調されます。
- 自分も相手も傷つけない形で、
- 一歩引いて状況を見る智慧
- 怒りに乗っ取られない冷静さ
を育てることが、本当の忍辱です。
また、
「自分を傷つける人も、実は無明や五毒に苦しんでいる存在だ」
と観想することで、
怒りから慈悲へと視点を変えていく訓練にもなります。
4. 精進波羅蜜 ― 続ける力・怠けない心(ヴィリヤ)
意味
**精進波羅蜜(しょうじん)**は、
善いことを続けるエネルギーを指します。
- 一度だけ善いことをするのではなく
- 小さな善行を繰り返し・積み重ねていく力
- 学び・瞑想・実践を「継続」する意思
これらが、精進の中心です。
チベット仏教的なポイント
チベットのテキストでは、
精進には次のような段階があると説明されます。
- 怠惰を見抜く智慧(だらだらしている自分に気づく)
- 目的意識(なぜ修行するのか、なぜ善行を積むのかを思い出す)
- 喜びを伴う努力(嫌々ではなく、心から望んで行動する)
特に菩薩の精進は、
自分一人の幸せではなく、
すべての衆生のために努力し続ける喜び
という**菩提心(ぼだいしん)**に支えられているとされます。
5. 禅定波羅蜜 ― 心を静め、集中を育てる(ディヤーナ)
意味
**禅定波羅蜜(ぜんじょう)**は、
心を一つの対象に安定して向ける「定(サマーディ)」を育てる実践です。
などに、心を優しく・繰り返し向け続けることで、
心が散乱から離れ、静かでクリアな状態に近づいていきます。
チベット仏教的なポイント
チベット仏教では、禅定は主に
- 止(シャマタ/śamatha):心を一つにとどめる静慮
- 観(ヴィパッサナー/vipaśyanā):対象の本質を観察する洞察
の二つとして説明され、
特に空性の理解と結びつく「観」の瞑想が重視されます。
禅定は、
「何も考えない」ことではなく、
「必要なときに、必要なところへ心を向けられる自由」
を取り戻すための訓練です。
6. 智慧波羅蜜 ― 空を理解すること(プラジュニャー)
意味
**智慧波羅蜜(ちえ)は、
仏教の核心である「空(くう)」や「無我」**を理解する智慧です。
- すべての現象は、因と縁によって一時的に現れている
- 固定した自我や、独立した実体は存在しない
- しかし、その「空」である世界の中で、因果は確かに働いている
この理解が、
無明(根本的な勘違い)を断ち切る鍵だとされます。
チベット仏教的なポイント
チベット仏教では、
智慧波羅蜜は単に知識のことではなく、
「空性への洞察」+「慈悲と菩提心」
が一体となった、体験としての智慧を指します。
- ただ論理的に空を理解するだけでは、冷たさや虚無感に陥ることもある
- そこで、慈悲の実践(布施・持戒・忍辱・精進・禅定)と
セットで智慧を深めることが強調されます
このバランスによって、
**「空であるがゆえに、慈悲を尽くす世界」**という視点が育っていきます。
六波羅蜜は「順番」ではなく「同時に育てるもの」
六波羅蜜は、
布施→持戒→忍辱→精進→禅定→智慧
という順番で並べられますが、
チベット仏教では、これを
一歩ずつ踏み段を登る「階段」というより、
六つの徳目を行き来しながら、同時に育てていく実践
として理解することが多いです。
- 布施をするにも、ある程度の忍辱と持戒が必要
- 禅定を深めるにも、精進と持戒が欠かせない
- 智慧は、布施や忍辱の実践の中でこそ深まる
このように、六波羅蜜は
相互に支え合う六つの柱だと考えられます。
日常生活での六波羅蜜の実践例
難しい修行ではなく、
「今日からできるイメージ」で見てみると、こんな感じになります。
- 布施:
誰かの話をよく聞く/知識をシェアする/小さな寄付をする - 持戒:
無意識の悪口や陰口を減らす/約束を守る/自分を大事にする生活習慣を選ぶ - 忍辱:
カッとなったときに、深呼吸して10秒待つ/相手の背景を想像してみる - 精進:
毎日5分だけでも、瞑想や読書の時間を続けてみる - 禅定:
スマホを置いて、今していることだけに集中する時間をつくる - 智慧:
「これは本当に絶対なのか?」と一度立ち止まって、
物事を多角的に見てみる習慣をつける
これらはささやかなことですが、
積み重ねることで六波羅蜜の種が静かに育っていきます。
よくある質問(FAQ)
Q1. 六波羅蜜はチベット仏教だけの教えですか?
いいえ、六波羅蜜は大乗仏教全体で説かれている教えです。
ただし、チベット仏教では菩提心や空性の理解と強く結びつけて解説されることが多く、
ラムリム(道次第)などのテキストにも詳しく整理されています。
Q2. 四波羅蜜・十波羅蜜という言い方もあると聞きましたが?
経典や伝統によって、
- 四波羅蜜(簡略形)
- 六波羅蜜(標準形)
- 十波羅蜜(さらに四つ加えた形)
などの数え方があります。
チベット仏教の実践では、六波羅蜜が最も基本的な枠組みとして用いられます。
Q3. 六波羅蜜を全部やるのは大変そうです…
最初から完璧にやる必要はありません。
「今日、この場面では布施」「今日は忍辱を意識してみる」
といった形で、一つひとつの場面でできることを選んでいくだけでも、
菩薩道の一歩として十分意味があります。
用語ミニ辞典
- 六波羅蜜(ろくはらみつ)
菩薩が悟りと衆生救済のために実践する六つの徳目(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)。 - 菩薩(ぼさつ)
自ら悟りを求めつつ、同時にすべての衆生を救おうと誓う存在。大乗仏教の理想的修行者。 - 菩提心(ぼだいしん)
すべての命を苦しみから救うために、自ら完全な悟り(仏果)を求める利他的な心。 - 波羅蜜(パーラミター)
「彼岸に到る」「完成された徳」という意味。 - ラムリム(道次第)
修行者が悟りに向かって進む道のステップを、段階的に体系化したチベット仏教の教え。
まとめ ― 六つの徳が、一つの道になる
六波羅蜜は、
- 与えること(布施)
- 自分を整えること(持戒)
- 心を折らないこと(忍辱)
- 続けること(精進)
- 静けさを育てること(禅定)
- 真実を見抜くこと(智慧)
という、とてもシンプルで、しかし奥深い六つの実践です。
チベット仏教は、この六波羅蜜に
菩提心と空性の智慧を重ね合わせることで、
自分のためだけでなく、
すべての衆生のために歩む道
としての菩薩道の姿を描いてきました。
日常の中で、
「今日はどの波羅蜜を少し意識してみようか?」
と問いかけてみるだけでも、
心の風景が少しずつ変わっていくかもしれません。

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