チベット仏教の歴史を語るうえで欠かせないのが モンゴル帝国との関係 です。
13世紀、世界最大級の版図を築いたモンゴル帝国は、チベット仏教を政治的に取り入れ、広大なユーラシア世界に影響を与えました。
この記事では、モンゴル帝国とチベット仏教の関係、フビライ・ハンとサキャ派の結びつき、そしてその歴史的意義を解説します。
モンゴル帝国の拡大とチベット
13世紀、モンゴル帝国はチンギス・ハンとその後継者たちにより急速に拡大しました。
チベットもその支配下に入り、モンゴルの支配者たちはチベット仏教に関心を持つようになります。
なぜなら、チベット仏教の僧侶たちが持つ 密教の儀式や祈祷の力 が、帝国の安定と守護につながると信じられたからです。
サキャ派とモンゴル帝国
モンゴル帝国と最初に深く結びついたのは サキャ派 でした。
- フビライ・ハンとサキャ派
13世紀半ば、フビライ・ハンはサキャ派の高僧パクパを帝国の師(国師)として迎えました。
これによりサキャ派はチベット全土の統治を任され、政治と宗教が強く結びつく体制が確立します。 - チベット仏教の広がり
サキャ派の僧侶たちはモンゴル宮廷で儀式を行い、チベット仏教がモンゴル支配層に受け入れられていきました。
サキャ派については、こちらの記事で詳しく解説しています。

政治と宗教の相互関係
モンゴル帝国とチベット仏教の関係は、単なる宗教的なものではなく、明確な政治的意図がありました。
- モンゴル側の狙い
仏教の権威を利用して支配を正当化すること。祈祷によって帝国の繁栄を祈ること。 - チベット側の狙い
強大なモンゴルの庇護を得ることで、チベット仏教の地位を高め、勢力を広げること。
この「相互依存」の関係によって、チベット仏教は中央アジア全域に広がりました。
チベット仏教のユーラシア的拡大
モンゴル帝国の庇護を受けたチベット仏教は、ユーラシア大陸に広まりました。
- モンゴル高原全域
チベット仏教はモンゴル族の信仰として根付いていきました。 - 中国(元朝)
フビライ・ハンが建てた元朝では、チベット仏教が国家的に保護されました。 - 中央アジア
ウイグルやトルコ系民族の間でもチベット仏教が広まり、宗教的多様性を生み出しました。
歴史的意義
モンゴル帝国とチベット仏教の関係には大きな歴史的意義があります。
- 宗教と政治の結びつき
宗教が政治的正統性を与える仕組みが確立しました。 - チベット仏教の国際化
モンゴルを通じて、中国・中央アジア・モンゴル高原に広がりました。 - 後世への影響
この時代の経験は、後のゲルク派やダライ・ラマ制度の成立に影響を与えました。

よくある質問(FAQ)
Q. なぜモンゴル帝国はチベット仏教を重視したのですか?
モンゴル支配者たちは密教の祈祷に強い力を感じ、帝国を守護するためにチベット仏教を取り入れました。
Q. サキャ派が選ばれた理由は?
サキャ派は当時、学問と密教儀礼に優れており、モンゴルの宮廷に適した宗派と見なされました。
Q. この時代のチベット仏教は他地域に影響しましたか?
はい。元朝を通じて中国に広まり、モンゴル高原全体でも信仰が根付きました。
TIBET INORIと歴史の知恵
TIBET INORIは、チベット仏教が政治や歴史の中で果たしてきた役割を尊重しています。
- サキャ派が担った学問と実践の伝統
- フビライ・ハンと結びついた祈りの文化
- ユーラシア全体に広がったチベット仏教の精神
モンゴル帝国とチベット仏教の関係は「祈りが国を超えて広がる」ことを示す象徴です。
その精神を、現代の日常に届けるのがTIBET INORIの使命です。
