TIBET INORI

ツォンカパ(Tsongkhapa, 1357–1419)とは ― ゲルク派の祖師/学戒双修と中観思想を確立した大碩学

ツォンカパ(1357–1419) はチベット仏教ゲルク派の祖。厳格な戒律(律)学問(中観・論理)、そして密教(瑜伽タントラ)を統合し、学戒双修の規範を作り上げた大碩学です。主著『ラムリム・チェンモ(菩提道次第広論)』『ナグリム・チェンモ(密宗道次第広論)』は、出離・菩提心・空性から密教修習へ至る道を体系化。彼の改革はのちのゲルク派僧院(ガンデン・セラ・デプン)の学制に受け継がれ、チベット仏教史に決定的な影響を与えました。


目次

要点サマリー(結論)

  • 何を成し遂げた?
  • 中観帰謬論証派(プラーサンギカ)の立場から空性の正見を厳密に論証
  • 戒律の刷新学僧教育の制度化大祈願祭(モンラム・チェンモ)の創始(1409)
  • ゲルク派の礎となる僧院ネットワークを形成(ガンデン創建、弟子がデプン(1416)・セラ(1419)を創建)
  • 代表作:『ラムリム・チェンモ』『ナグリム・チェンモ』『入中論善顯密意疏(オーシャン・オブ・リーズニング等の中観注釈群)
  • 思想の核三主要道(出離・菩提心・正見)の統合、顕教と密教の無矛盾的統一

生涯(年表)

  • 1357 アムド(現・青海省)に生まれる。幼少より才覚を示し、各地で五大部(『中論』『入中論』『現観荘厳論』『倶舎論』『量評釈』等)を研鑽。
  • 1380年代 レンダワ・シェーラプ・センゲ等の碩学から中観を学ぶ。ウマパ・パウォドルジェを通じた文殊菩薩(マンジュシュリー)への帰依で知られる。
  • 1390年代 ラサ近郊で教化、戒律復興を推進。
  • 1409 大祈願祭(モンラム・チェンモ)をラサで創始、ガンデン寺創建。
  • 1416–1419 弟子たちがデプン寺(1416)セラ寺(1419)を創建。
  • 1419 ガンデンにて入寂。ギャルツァプ・ジェケドゥプ・ジェが教統を継ぐ。

※ツォンカパ本人が「ゲルク派」という名称を使ったわけではありませんが、彼の学制・戒律改革を受け継いだ学僧ネットワークが、のちにゲルク(善律派)として確立しました。


主要教義の中核

1) 三主要道(Lamrimの心臓部)

  1. 出離(出離心):輪廻に満ちる苦の本質を観じ、解脱を希求する。
  2. 菩提心:自他を等しく観じ、一切衆生のために完全な覚りを目指す。
  3. 正見(空性の智慧):事物が自性をもって成立しない(無自性)ことを、論証と瞑想で体得。

ツォンカパは、出離と菩提心が“翼”となり、正見が“羅針盤”になると説き、倫理→集中→智慧を段階的に統合しました。

2) 中観帰謬論証派(プラーサンギカ)の徹底

  • 自性成立の否定を、相依性(縁起)の論理から厳密に導出。
  • 「世俗諦の有効性」(因果・倫理・修道が機能する)と、「勝義諦の空」(究極に自性なし)を矛盾なく両立させる解釈を提示。
  • 他学派(自立論証派等)への批判を通じて、思弁の極端(常・断)を回避。

3) 顕教と密教の統合(Guhyasamāja を軸に)

  • 顕教三主要道止観を確立したうえで、密教(主に究竟次第)で気・明点・経脈のヨーガを修し、清浄な現れ(大楽)と空性不二として体験化。
  • 主たる本尊系:グヒヤサマージャヘーヴァジュラチャクラサンヴァラヤマーンタカ
  • 密教の実践はつねに戒律・菩提心・正見を土台とし、顕密無矛盾が原則。

主著と学術的貢献

  • 『ラムリム・チェンモ(菩提道次第広論)』:在家から出家・菩薩まで、修道を段階的(道次第)に統合。
  • 『ナグリム・チェンモ(密宗道次第広論)』:四部タントラを俯瞰し、生起次第→究竟次第の道を体系化。
  • 中観注釈群:『入中論善顯密意疏』『中論釈』など、龍樹(ナーガールジュナ)系統の精密注釈。
  • 戒律論・釈論:僧院生活の規範整備学制化に大きく寄与。

僧院制度と儀礼の整備

  • ガンデン寺(1409)を拠点に、弁論(デバート)・論書講学・戒律遵守を中核とする学僧カリキュラムを確立。
  • モンラム・チェンモ(大祈願祭)を創始し、学僧の研鑽と大乗の共同祈願を年中行事として制度化。
  • 後継者たちにより、デプン寺(1416/ジャミャン・チョジェ)セラ寺(1419/ジャムチェン・チョジェ)が創建され、ラサ三大寺の学制が整う。

主な弟子と後世への影響

  • ギャルツァプ・ジェ(1364–1432)ケドゥプ・ジェ(1385–1438):正統を継承した二大弟子。
  • ジャミャン・チョジェ(デプン創建)、ジャムチェン・チョジェ(セラ創建)など門下多数。
  • ゲルク派はのちにダライ・ラマ系譜パンチェン・ラマを擁し、学問・戒律・行政の中枢を担う伝統となる。

アイコノグラフィ(図像学)と巡礼

  • 図像では、黄色の帽(ゲルク派の黄帽)、法衣、法輪・書巻などの持物。
  • ガンデン寺(ラサ近郊)はツォンカパ逝去の地として有名。ガンデン・ガンギュル(ガンデン香供)などの行事も伝わる。
  • 毎年11月25日(チベット暦10月25日頃)に営まれるガンデン・ナムチュ(ツォンカパ涅槃祭)は灯明供養で知られる。

よくある質問

Q. ツォンカパは「学問偏重」なの?
A. 彼は戒律・菩提心・空性・密教バランスよく統合した実践家です。厳密な論証は、正見を誤らないための慈悲の姿勢と理解されます。

Q. 密教は顕教より“上位”なの?
A. ツォンカパは顕教の土台(出離・菩提心・正見)なしに密教は成立しないと強調。段階を踏む道次第が本旨です。


用語ミニ辞典

  • ラムリム(道次第):修道を段階的に整理した体系。
  • 三主要道:出離・菩提心・正見(空性)。
  • プラーサンギカ:中観の一派。自性成立を徹底否定する立場。
  • モンラム・チェンモ:ラサで行われた大祈願祭。
  • ガンデン/セラ/デプン:ゲルク派三大寺。学僧教育の中心。
  • グヒヤサマージャ:密教本尊の中核的系統。

まとめ ― 「学ぶ・守る・坐る」を一つに

ツォンカパは、学(論理)戒(規範)禅(瞑想)分断しないことを生涯で示しました。
出離と菩提心で心の方向を定め、正見(空性)で錯覚を晴らし、密教智慧と大楽の不二を体験化する――。
その道筋は、今もなおゲルク派の学僧教育と在家の日々の実践に、明確な羅針盤を与え続けています。

目次