金剛杵(こんごうしょ)は、サンスクリット語 vajra(ヴァジュラ)、チベット語 dorje(ドルジェ) の訳で、“金剛(ダイヤモンド)の堅固さ/雷の威力”を象徴する法具です。
チベット仏教では、金剛杵(行=方便)と金剛鈴(知恵=般若)を一対として用い、智慧と慈悲(方便)の不二を表します。儀礼・瞑想・図像(仏像やタンカ)に広く登場し、五仏・五智など教義のエッセンスが凝縮された象徴でもあります。
金剛杵の基本構造と象徴
- 中央の球(あるいは節):空性(śūnyatā)・中道を示す中心。
- 蓮座(ロータス):清らかさ・覚醒の基。
- 摩竭(マカラ)頭:口から伸びる爪(つめ/牙)が爪=鋭い智慧を象徴。
- 爪(プラング):数により一鈷・三鈷・五鈷・九鈷などに分類。両端に対称に配置されます。
- 重量感のある中軸:不壊・不可断の力。迷いを打ち砕く“金剛の理性”を意味。
ポイント:チベット仏教の実践では、右手に金剛杵(方法)、左手に金剛鈴(智慧)を持ち、音(マントラ)・所作(ムドラー)・観想を統合します。
主な種類(形状と意味)
1) 一鈷杵(独鈷)
単一の中央爪が直進する形。一味不二・一心不乱、迷いを一挙に貫く象徴。携行サイズの法具としても用いられます。
2) 三鈷杵
中央爪+左右に各1本(合計3本)。三身(法・報・応)や三解脱門(空・無相・無願)など「三」の象徴に重ねられます。
3) 五鈷杵(チベットでは最も一般的)
中央爪+左右に二股(合計5本)。五仏(阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就・大日)や五智に対応。
五智の代表的対応:
- 法界体性智(中心)
- 大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智(四方)
4) 九鈷杵
各端に五爪(計9)を配する豪壮な形。十方・一切智などの充満・円満を強調。
5) 金剛盤(双金剛/ヴィシュヴァヴァジュラ)
金剛杵が十字に交差した形。四方・四業(息・増・懐・誅)・不動の基盤を示し、仏塔の基礎や印判、祭壇の中心意匠として用いられます。
図像学:誰が金剛杵を持つ?
- 金剛手菩薩(ヴァジュラパーニ):如来の力(護持)を象徴する守護尊。
- 金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ):浄化・懺悔の本尊として、金剛杵と金剛鈴を持つのが定型。
- ヤマーンタカ/ヘーヴァジュラ/チャクラサンヴァラなどのタントラ本尊:金剛杵=不壊の智慧を表徴。
- 聖者・高僧の肖像、タンカの周辺意匠、仏塔(チョルテン)の装飾にも頻出。
儀礼における役割(チベット仏教の実務)
- 持物(アトリビュート):灌頂・供養・護摩的行の際、右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持つ。
- ムドラー(印):金剛拳印など、握り方・所作に意味がある(伝授に基づく)。
- 祭壇配置:金剛盤(双金剛)や金剛杵を曼荼羅の中心や仏前に安置。
- 護符性:不壊・除障の象徴として、法要・巡礼時に携行されることも。
※具体的な所作・口訣は師資相承(ラマからの正式伝授)が前提。独習は避けましょう。
素材・制作・サイズ
- 素材:銅合金(黄銅・青銅)、時に銀・金鍍金、鉄(隕鉄伝承を持つ例も)。
- 工法:鋳造後に彫金・磨き・鍍金。マカラ頭や蓮弁の彫りで工房の格がわかる。
- サイズ:掌サイズ(10–15cm)から、儀礼用の大型まで。重量バランスが良いものが扱いやすい。
象徴の深読み:なぜ「金剛=空性」なのか
ヴァジラ(vajra)は、ヴェーダ以来雷霆(インドラの武器)の語源を持ちますが、仏教に取り入れられてからは“一切に打ち勝つ”象徴が無二の真理=空性へと転化しました。
“壊れない”=相対的な固さではなく、執着を超えた空の真理は決して損なわれないという意味での“不壊”。
ゆえに金剛杵は、煩悩を断つ武器ではなく、煩悩を智慧へ転換する道具(象徴)として理解されます。
日本密教との関連(用語の橋わたし)
日本の真言・天台でも金剛杵は重要な法具で、独鈷・三鈷・五鈷・九鈷の呼称は広く用いられます。
チベット仏教(ドルジェ)と基本象徴は共通ですが、儀礼手順・持ち方などは伝統差があります。流派の作法に従うのが大切です。
よくある質問(FAQ)
Q1. どれを選べばいい?(一鈷/五鈷/九鈷…)
在家の礼拝・携行には五鈷が一般的。一鈷は簡潔・集中を好む方、九鈷は荘厳性を重んじる方向け。最終的にはご縁の師・寺院の指導に合わせて。
Q2. 右手が金剛杵、左手が金剛鈴って決まり?
チベット仏教の通例では右=方法(行)=金剛杵、左=智慧=金剛鈴。ただし儀礼での例外や所作は口訣に従います。
Q3. インテリアとして飾って大丈夫?
礼拝具なので丁重に扱い、目線より高い清浄な場所に安置するのが望ましいです。乱暴な扱い・コスプレ的消費は避けましょう。
Q4. フルセットで必要なものは?
基本は金剛杵+金剛鈴。供養壇を整えるなら、供物器(七供)、香・灯明、曼荼羅器などを用途に応じて揃えます。
用語ミニ辞典
- 金剛杵(ヴァジュラ/ドルジェ):不壊・雷霆・空性の象徴たる法具
- 金剛鈴(ガンタ/ドゥルブ/drilbu):智慧を表す鈴。金剛杵と一対
- 一鈷・三鈷・五鈷・九鈷:爪(プラング)の本数による分類
- 金剛盤(双金剛/ヴィシュヴァヴァジュラ):交差金剛。四方・四業の象徴
- マカラ頭:口から爪を吐く神獣意匠。守護と転化の象徴
- 五仏・五智:五方仏に対応する五つの智慧体系
- ムドラー:印相・所作。金剛拳印など
まとめ ― 祈りと学びを“ひとつ”にする道具
金剛杵は「智慧と慈悲を一体にするスイッチ」です。
儀礼や瞑想で手にするとき、右手の金剛杵=行動・慈悲、左手の金剛鈴=洞察・智慧が響き合い、不二の実感が育っていきます。
TIBET INORIでは、金剛杵と金剛鈴の正しい扱い方や五仏・五智の解説、本尊との関係も順次発信していきます。

